とりあえず、人類史上トップ3に入るぐらいの名著まで軽く読めたら良いや。
それが、聖書、資本論、カラマーゾフの兄弟かなと。
コヘレトの言葉「学び過ぎれば体が疲れる。」
ヴィトゲンシュタインとか、レヴィ=ストロースとか、仏教とか、世界10大文学とか、古典大量に読みたいとか、
死ぬほど読みたい本はあるけど、
結局それらの本全部読んだところで、完璧な正解が見つかるわけでもないんだな。ってことが何となく分かってきた。
絶対智とか、神とか、完全とか、そう言ったものを目指してたんだろう。過去の人も。(俺もそう言うところ目指しちゃってるんだろうな。。。)
それが「無理っぽくね。」ってことが何となく、人類は理解してきたんだろうな。
ただ、
完璧な正解は見つからないけど、補助線にはなるんだろうな。古典的な名著は。考え方の。
聖書はこう言ってるから、俺はこう考えようみたいな。
聖書のコヘレトの言葉にも、
書物はいくら記してもきりがない。学び過ぎれば体が疲れる。
みたいなことが書いてある。
そして、そう言ってるのに、途中で、
知恵を備えておけば利益がある。
賢者の口の言葉は恵み。
みたいなことも言ってるし。
人間の時間も、知能も限界がある。どこかで読書の限界はくる。
だけど、知恵は大事。
今の僕に当てはめれば
読みたい本を全部読むことはできないけど、
抑えておくべき頭の良い人を絞って、その作者をしっかり読んでおく。
その人の思考を基準に、人生考えよう。
みたいな解釈かなと思った。
それが、とりあえず
- 聖書を軽く
- 資本論
- カラマーゾフの兄弟
かなと。
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