苫米地英人さんが、kindleに古典的な本を40冊程度ダウンロードした。みたいな記述があった。「速読脳」(kindleのタブレットが発売された当時の本)
たぶん、古典的な本(時代の大天才達の本)は、手元に置いておきたいし、何度でも読むものなんだろう。苫米地英人さんクラスでもkindleにダウンロードして何回も読むし、一回読んだだけでは終わらないんだろう。
目次
ペルソナ召喚
kindleのタブレットの中には、内面化し終わった作者の本を、いつでも確認できるように手元に置いておくんだろう。
なんか、自分のペルソナとして召喚するみたいで面白いな。
自分の人生にとって、自分の内部にペルソナが何人もいれば安心だわな。
とりあえず、古典的な本でも10冊ぐらい内面化したい。(アダムスミス、カント、マルクス、ダーウィン、マックスウェーバー、ケインズ、ヴィトゲンシュタイン、アインシュタイン・・・)
小説でも数人内面化したいし。(ドストエフスキー、シェイクスピア、夏目漱石、紫式部)
聖書も、数編自分の中に蓄えておきたいし。
他にも、岡田尚哉さんだったり、黒川伊保子さんだったりも内面化するだろうし。
自分の中にペルソナ蓄えていこ。
小室直樹さんの100回読む理論。(高校時代問題集3周やった理論。の抽象度高い版?)
僕の内面にペルソナ蓄えたいけど、どうしたら良いか。たぶん多読だろう。
受験勉強の時、「問題集は3周やれ。」みたいな勉強方法があった。確かに3周やれば理解が一気に跳ね上がる体験はしていた。
だけど、大人になるにつれ、受験勉強っていう低い抽象度の本だけ読んでいても、社会では使えないってことが分かってくると、色んな本を読んでいた。その方が成長できた。(受験勉強は、方程式の範囲だけ勉強してるみたいなもんか?社会から見れば。)
だけど、ここに来て、「また3周読めの時期に来たのかな?」って感覚はする。
ドストエフスキーのカラマーゾフの兄弟を固める時期なのか???
人生においては、アダムスミスを読む(1回)、カントを読む(1回)ってのは、問題集を完璧にする前に、違う問題集に変えるみたいなことになるのかな?
なんとなくそんな感覚を受けなくもない。
方程式の範囲の問題だけ解きまくってる。みたいな人世の中結構いる。
「孫子」100回読むみたいな人のブログ
「100回」「読書」で調べると、結構出てくる。(方程式の範囲だけ問題解きまくってるみたいな人)
「孫子」読みまくってるみたいな。でも経済学の本読んでないみたいな。なんかアホっぽいんだよねー。(将棋のコマとか、マス目を知らないのに、将棋の戦法学んでるみたいな。)
僕もこーなってないか不安。
1冊の本を多読で見えてくるものがあるんだろうな〜。。。
それでもブログを読んでると、多読することで、何か見えてくるものがあるんだろうなってのも伝わる。多読しない人には見えない境地があるんだろう。
そして、人間、一生全範囲の知識は蓄えられない。
だから、僕もそろそろ、1人の作者の本を多読する時期かなー????
カラマーゾフの兄弟、100回ぐらい読んだろかなって思うけど、意味あるのかなって戸惑ってしまう。
だけど、小室直樹さんが言うなら、まあ100回読んだ方が良いんだろうな。
追記 100周って言うからめんどくさいと思ってしまうから、とりあえず10周で良いや。
めんどくさいから。10周ぐらいで良いや。カラマーゾフの兄弟。
まだ、「これが人生かけて100周読む本だ!」って言えるほど、古典的な本読めてないわ。
まあ、カラマーゾフの兄弟それぐらい良い本なんだけど、色んな本も読んでから、再度何周も読みたいはあるなー。
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