「聖書(創世記、出エジプト記、マルコの福音書)」、「ふしぎなキリスト教」読んだ

橋爪大三郎さんとか、苫米地英人さんが、聖書おすすめしてるから読んでみた。

読む前の僕の勝手な思い込みは、

聖書は、日本人が言う宗教っぽいなと思ってて、なんでこんな頭のいい人たちが読んだ方が良いって言うのか意味がわからなかったけど、

西洋の最先端の学問の、ベースにキリスト教の価値観があったりするから、理解した方が、

その上に積まれた、学問も理解しやすい。ってことなんだなと。

読んだ本一覧

  1. これから読む聖書: 創世記
  2. これから読む聖書 出エジプト記
  3. 教養としての聖書(4章マルコの福音書だけ)
  4. ふしぎなキリスト教 (講談社現代新書)

あと、聖書も軽く読んで、

これから読む聖書: 創世記 を片手に、創世記読んで、

これから読む聖書 出エジプト記 を片手に、出エジプト記読んで、

教養としての聖書(4章マルコの福音書だけ) の4章片手に、マルコの福音書読んでから、

ふしぎなキリスト教 (講談社現代新書) 読んだ。

 

聖書読んでおいたから、「ふしぎなキリスト教」がだいぶ理解が捗った。

今後、古典系の本読んで言って、マルクスの資本論ぐらいまで読めたらいいなー

 

感想

聖書は、読み方があるなー

1遍ごとに、解説を片手に読んだ方が良いかも。

 

聖書の使い方

聖書を読み始めたのは、

神を信じたから救われるみたいな、人生生きやすくなるんかなってイメージで読み始めたけど、

そう言った読み方ではないんだな。

 

  • 教養になる
  • 良いことが書いてある文章集
  • 文章集を、思考の叩き台的な所にして、新しい発想をするためにある

みたいな使い方をするんだなって気がした。(未熟な現状での勝手な解釈)

 

例えば、マルコの福音書を読んでおいたら、

橋爪大三郎さんの、ふしぎなキリスト教 (講談社現代新書) を読んで、マルコの福音書の解釈が変わるみたいな。

 

人生に直結するという意味では、小説を読んだ方が良いかもなって気はしてきた。

まあ、小説読んで、マルコの福音書の見方や解釈が変わる。

その元として、一回マルコの福音書は読んでおいた方が良い。

みたいな感じなのかなとは思う。

 

だから、旧約聖書と、新訳聖書は、地道に1遍ずつ読んでは行きたいかなとは思った。

けど、「とりあえず、全部聖書読まないといけない。。。。」って焦らなくて良いってことは分かった。

 

一旦、西洋哲学的な本に手をつけようかな。

 

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