クソ日記です。人生つら。
今の考えてることを書き殴ってます。読みにくいと思います。申し訳ないです。
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幸福のインパクトマトリクス by 杉村隆さん

・幸福のインパクトマトリクスの記事↓
https://sugimuratakashi.com/genri/
この方は、ビジネス系のブログで、頭が良い方だから参考にしてます。
幸福になるためには以下の1〜4で、1が大事で、2、3、4となるごとにインパクトが下がると。だから1の努力からした方が幸せに直結するよ。と。
- 自分の人格マインド
- 自分の環境・人間関係・仕事
- 自分の仕事と知識
- 自分の努力・日々の経験(成功と失敗)
7つの習慣の、第2の習慣に当たる考え方ですね。
これを実感した今月でした。
2の努力めっちゃしてたなと。
法、会計、コミュニケーション学んでいた。(→2の努力なのかもしれない。という気づき)
今月は、民法と商法、とコミュニケーション系の本を読んでいました。
これらの本は、上記の段落で書いた
2:自分の環境・人間関係・仕事
の抽象レベルの努力なんだなと。
これらの本を読んで、読む前よりも、世の中のことが理解できるようになっている。だけど、これだけではダメ感がすごくありました。
そこで、あ、1の本を読まないといけない。
そう思いました。
状況の変化に影響されるばかり。(行動にも考え方にも芯がない。快不快の基準でしか考えられない自分)
相手視点、気遣いみたいなルールが分かると、円滑な人間関係を築くことができる。
法、会計を学ぶことで、より旨味のあるビジネス領域に移動することができる。
法会計、相手視点気遣い、みたいな思考領域は、言わばこの盤面のなかでなら自由に動けますよ。あなたの好きな人間関係や、環境に移動して良いですよ。ってイメージの分野だなと。
だけど、じゃあその盤面内で、「どんな人と関わろうか?」「どんな仕事をしようか?」の思考基準は教えてくれないなと。
それは自分で考えないといけない。
・・・何をしたら良いかが分かりません。
思考基準(信念体系?)が自分にはない。
だから、より快楽を手に入れ、より不快を避けようとする、コスパモデルでしか人生を考えることができない。
だけど、どこに行ったって、不快なことが想定できる。
だから、一生、完全無欠な快楽だけしかないものを目指して、引きこもって何もしない。
今の自分のコスパモデルでは、一生幸せになれない感
コスパモデルでは、
「人間老いるので失う。上には上が絶対いるので不快感はどこへ行っても絶対感じる。」
という絶対不幸になるモデルだなと。
それがなんとなく分かってるから、今の自分の状態で幸せを感じられてないなと。
信念がない
1の能力が低すぎて、思考がブレブレです。
だから、すぐ病むし、楽な状況であれば怠惰になり、嫌なことがあればひたすら落ち込む。
1の能力がないから、2、3、4で必要そうな能力を全部勉強しなきゃいけない。。。と焦ってしまう。
選択と集中ができない。
(経営学、数学、物理学、経済学、ファッション、コミュニケーション、生理学、etc を読まないと。。。。みたいな。)
こう言った状況なので、1の能力の勉強を集中してやらないと、いけないんだなと。
1に当たる本が、聖書とか、仏教とか、小説とかになるのかもしれない。
たぶん、1の領域の能力を上げる本が、聖書とか、仏教とか、ドストエフスキー的な小説、になってくるんだろうなと。
なので、とりあえず1冊にまとめられてる聖書読んどけば良いんだろうな。とは漠然と思ってます。。。
だけど、読んだ方が良いんだろうなとは思いつつもめんどくさい感があって。。。。
- なんとなくめんどくさい
- そこらへんにいる「聖書読んで人生変わりました!」みたいな人になりたくない。
- なんか聖書読んでる人って嫌だ。
- 実務的なこと勉強した方がやってる感ある
- 聖書読んだところで、物理的には何も変化しないんじゃない感。
- 聖書読んだところで不快からは逃げられない。(不快に対する考え方を変えた方が良いんだろうけど、その新しい価値観が見えてないから、今努力する気になれない。)
- くそ分厚いから読むのめんどくさい
こう言ったこと思ってやりたくなかったんですけど。
もう読むしかないかと。
一旦聖書を集中して読んでみよかなと思いました。
流石に、今の自分の1(信念体型)では、一生拉致があかない感がありますね。
まとめ
「とりあえず聖書頑張って読んでみるか。」って感覚になった今月でした。
昔の僕のブログの記事でも、読んだ方が良いとはなんとなく分かっていて、読みたいとは書いてたんですけどね。。。。
その重要感が増した今月でしたね。
頑張って読みますか。。。
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