22-188 「カラマーゾフの兄弟」で父のフョードルがクソな父親だったけど、フョードルはフョードルで人生色々あってこんな人間に出来上がったんだろうな。。。みたいな描写そう言えばあったな。

人に歴史ありみたいな。

うちの祖母もクソな人間に仕上がってるけど、この人の境遇に置かれたら仕方ない面もある。って視点もあるんだろうな。

ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」のフョードルみたいに。


そしてカラマーゾフの兄弟では、最後に、それでも父親殺しをしてしまっても、仕方ない父だったんじゃないか。

って、ドストエフスキーは結論づけてるけど。

フョードルの境遇を理解しつつも。許しつつも。


なんかその感覚、ワイの祖母に対して、ちょっと分かるかもしれない。

聖書とかで、「許す」みたいな言葉あるけど、こう言う感覚なんやろな。

カラマーゾフの兄弟では、一般常識的に見れば「殺してるから許してないやん。」って話やけど、感覚的には許してるみたいな。


俺も、祖母のこと許しつつも、仕方なかったんだろうな。って理解は示しつつも、

人間関係としては、「もう絶縁かな。」みたいな。

心として絶縁したおかげで、感情としては復讐したいぐらいだけど、表面的には実務的な手伝いぐらいならしてあげられるみたいな。感情一才入ってないから。

「許す」ってそんな感覚なんかな?

ってちょっと思ったわ。


人間は限界があるから、

理想化した聖人君子にはなれない。

それを踏まえた人間の限界のラインはこんなもんじゃないか?みたいな裁量感みたいな。