人に歴史ありみたいな。
うちの祖母もクソな人間に仕上がってるけど、この人の境遇に置かれたら仕方ない面もある。って視点もあるんだろうな。
ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」のフョードルみたいに。
そしてカラマーゾフの兄弟では、最後に、それでも父親殺しをしてしまっても、仕方ない父だったんじゃないか。
って、ドストエフスキーは結論づけてるけど。
フョードルの境遇を理解しつつも。許しつつも。
なんかその感覚、ワイの祖母に対して、ちょっと分かるかもしれない。
聖書とかで、「許す」みたいな言葉あるけど、こう言う感覚なんやろな。
カラマーゾフの兄弟では、一般常識的に見れば「殺してるから許してないやん。」って話やけど、感覚的には許してるみたいな。
俺も、祖母のこと許しつつも、仕方なかったんだろうな。って理解は示しつつも、
人間関係としては、「もう絶縁かな。」みたいな。
心として絶縁したおかげで、感情としては復讐したいぐらいだけど、表面的には実務的な手伝いぐらいならしてあげられるみたいな。感情一才入ってないから。
「許す」ってそんな感覚なんかな?
ってちょっと思ったわ。
人間は限界があるから、
理想化した聖人君子にはなれない。
それを踏まえた人間の限界のラインはこんなもんじゃないか?みたいな裁量感みたいな。