社会生活営むには、ある程度、こんな思考とか、作法とか、習慣が身についてる必要がある。
みたいなのがあるんやろな。
幼少期から、その習慣が形成されてて、社会に馴染むか?の度合いが人によって変わってくるんやろな。
ADHDとか、ASDとか、HSPって、
ここ10年ぐらいのバズワードな気がするけど、
俺これって結構、文化資本格差の言葉なんじゃないかな?って気がするんよな。
人間どっかしらADHDな気質はあるし、それが社会に適合できない状態の人には、そう呼ぶるみたいな。
で、俺もHSPとか、ADHD系とか、そっち系の気質ありそうだけど、
モテたいから、そう言う特性治そうと向き合い続けてたら、
なんか、これって、育ちじゃね?
って思うことが、ちょいちょいあるよな。
文化資本格差じゃね?みたいな。(まあ資本だから、身につけられる能力ではあるんやけどさ。)
コミュニケーションって、才能じゃなくて、思ったよりも、文化資本なんよな。
岡田尚哉さん学んでてもそうだし、トルストイのアンナカレーニナとか読んだ時、人間関係って、ノウハウあるな。みたいなこと、感じたんよな。
貴族層とか、マネジメント層って、労働が無くて、人間関係が仕事になるから、人間関係上手くなるけど、そのノウハウが身についてるんやろな(またはノウハウのためのもっと根本原因に向き合う必要性が多い)。みたいな。だからコミュニケーション上手いんやろな。みたいや。
社会階層によって、コミュニケーションって、文化資本の多い少ないはあるなみたいな。
そんなことに気づいた時に、
親に対して、ちょっと恨み出てくるよな。
「うちらは隠キャ家族だから。」
みたいなことよく言うんだけど、コミュ障な親に言われると、自尊心かなり削られるんよな。
子供だからって、結構舐めた態度取ってきてたけど、
「お前今まで、コミュニケーションのこんなことも分かってないのに、偉そうにしてたんか。」
みたいな、恨みはかなり募ってるよね。クカ