22-24 「トルストイを全部読め」某偉いらしい編集者 ←しっくりきた

俺の精神のOSとして、読書は必要だな。

日常生活を営むためにも、読書って必要だな。ってすごい思うんですよね。

恋愛とか、モテと対極なんだけど、僕にとっては、思想的な本って必要なんですよね。

 

で、そこで精神のOSとか、人生観みたいなものを強化するために、どう読書していけば良いかな?ってのがいまいちしっくりきてなくて、

ずっと悩んでたんですけど。

「トルストイを全部読め」

って記事見つけて、それで結構しっくりきましたね。

編集者たるものトルストイを読みたまえ

 

頭良い人らが勉強法語ってるけど、1人ずつだとしっくりこない部分があった

たぶん、以下の人ら本物で、本質的な勉強法語ってるな。ってずっと思ってたけど、

言葉足らずとか、紙面が足りないとか、直接会ったことないのでニュアンスが分からないみたいな感じで、

この人らが言ってる、核心とか、感覚を掴めない部分が合ったんですよね。

だけど、今回3人目のよく分からない編集者の意見を聞いて、最後のピースが埋まった感がありました。

勉強ってこうしていけば良いんだなみたいな。

小室直樹「1冊の本を100回読め」←これだけじゃしっくりこない

トルストイの「アンナカレーニナ」をピックアップしたとして、

現状の僕は、それだけ100回読んでても、なんかしっくりこないだろうな。感がずっとあったんですよね。

で、どうしたら良いかな。って悩んでたと。

 

苫米地英人「同じ本を3回読め。同じ本が嫌なら別の本を読め」←少ししっくり来るけど、まだ足りない感

苫米地英人さんの、この読書法も、小室直樹さんと、似たような境地に辿り着くために、同じこと言ってるんだろうな。って感覚はずっと合ったんですよね。

で、「1冊だけ100回」は何かしっくりこないから、苫米地さんの言うように、

トルストイの「アンナカレーニナ」と、「戦争と平和」を読んで、合わせて3〜5回ぐらい読もうかな。

ってのが、まあまあ妥協点かな。って思ってたんですよね。

それでも、完全にしっくりこない感があったんですよね。

 

カントとか、アダムスミスとか読んだ方が良いんじゃね?みたいな。

 

某編集者「トルストイを全部読め」

編集者たるものトルストイを読みたまえ

この記事見て、上二人の意見と繋がった感がありましたね。

「あートルストイの作品全部読むぐらいの勢いで読んだら良いんだな。」って。

するとだいぶ納得感がありました。

トルストイの作品全部読むぐらいだったら、全体性、網羅性もカバーできる感があるんですよね。

だけど、1人に絞ることで、深めて行くこともできるみたいな。

一番良いバランスだなって気がし増田。

 

そして、

  • 小室直樹が100回読めって言ってて、それで手に入れて欲しい感覚と、
  • 苫米地さんが、同じ作者の本を3〜5回読んで、作者の視点で世界を見れるようになれってのと、
  • 某編集者が、トルストイの作品全部読め。

って言ってるの、なんか全部同じような感覚で言ってるな。その感覚がなんとなく掴めた気がしましたね。

 

僕の場合は・・・

たぶん、トルストイの作品を大方読んで行くことになりそうですね。

  • アンナカレーニナ
  • 戦争と平和
  • 復活
  • 人生論
  • etc

で、たぶん、何冊か読んでるタイミングで、ある程度全体性みたいなのがカバーできるタイミングがある気がするんですよね。

そこで、「核心の本が、ここだな。この作品だな。」

ってのが見つかる気がするんですよね。例えば「アンナカレーニナ」。

そのタイミングで、「アンナカレーニナ」を、小室さんの言うように、10回でも100回でも読むタイミングが来るんだろうな。って気がするんですよね。

 

ここらへんって、岡田尚哉の言ってることを、色んな情報から理解しようとしてるのとやり方一緒だな。って気づいた

思想的な領域も、やり方一緒だなって気づきましたよね。

 

恋愛においては、岡田尚哉の言ってることだけ聞けば良いし、

そのタイミングで理解できないことがあったら、自分で調べに行くけど、

それって、補助教材みたいな立ち位置なんですよね。

読んでるけど、

信仰してる。隷従してるのは岡田尚哉だけみたい。

「読書してる?」って聞かれたら、岡田尚哉だけ。って答えるみたいな。

補助教材は、読んでるけど、結構軽い感じ、重心かかってないから、「読書してるけど、そんな真剣に読んでないな。そんな読書してないかな」

みたいな感覚と言うか。

 

思想的な領域も、勉強法は恋愛と一緒なんだな

たぶん、こんな感覚で、

トルストイの読み方も、トルストイに信仰すると言うか、隷従すると言うか、そういう読み方しろ。ってことなんだろうな。

って理解しました。

トルストイに徹底的に歩み寄る。ってことをすれば良いんだな。って気づきました。

 

で、たぶん、読んで行って、自然と掘り下げたい読書が出てくるんだろうな。って気がしますよね。

そこは、まあ読んで行くんでしょうね。軽い読書の仕方で。

だけど、何回も真剣に読むのは、トルストイの数冊だけ。みたいな。

 

で、こんな感覚、

「志学数学」って本で、「人生で真剣に読める本は、数冊だけ。」って言ってるのと、たぶん感覚同じだろうな。って気がしました。

たぶん、今僕が理解した感覚間違ってないだろうなって気がします。