22-10 正直に全部言う。俺は33歳派遣社員。26から女性と体の関係にもなってない。

俺は就活ができなかった派遣社員です。

小学校6年の時に対人恐怖というか、人とコミュニケーション取る際にイップスみたいになりました。

それがきっかけで、今まで回避の選択ばかり取って、今の状況に至ってます。

ここに立ち向かうのが根本原因なんだなと。理解しました。

自分語りさせてくれ

 

親の遺伝的なベース

母親は、プチ虐待みたいなことされてて、愛着障害みたいな所ある人です。俺の育ちに影響は多少ありそうです。

母親は論理的な思考というか、本質思考が得意なタイプで、逆に即時的なコミュニケーションが苦手なタイプです。俺もその特徴受け継いでそうです。

母方は人間関係のセンスがないタイプです。

父親は、診断されてませんがたぶんアスペです。もう死んだので分かりませんが。

そして父方の祖父も、何かしら尖ったパラメーターした頭脳を持ってそうです。なのでその反面、精神的におかしくなりました。

父方は結構、商才的な、要領の良さ的な頭は良い人らしいです。だけど反面メンタルの弱さもあったっぽいです。メンタルの弱さは父方から受け継いでる気がします。

 

 

小学6年生の時に対人恐怖症になりました。

僕は、幼稚園ぐらいからサッカーをずっとやってました。

僕は一人でボール蹴ってるのが好きだったので、ずっと蹴ってました。

なので、地元ぐらいでは上手い方でした。(井の中の蛙でしたけど。)

だから、小学生ぐらいって、運動できたらモテたので、小学6年生で、クラスで1番可愛い子と両思いでした。

 

だけど、俺の親のスペックっぽいの書きましたけど、今で言う優位性も、対峙会話も、そんな高くない親だったので、

その能力を受け継いでる僕は、まあ当然この女の子に振られました。(会社経営してる娘で金持ちっぽい。)

 

で、振られるなんて微塵も思ってなかったんですけど、その女の子が属してる1軍グループが会話してる所に、空気読まず突撃していくぐらい、当時の僕は恥知らずだったんですけど、

思いっきり、1軍女子たちから、無視されたんですよね。女子特有のあのやつ。あいつキモいよねみたいな。

その瞬間、今でも覚えてますが、全身から血の気が引きました。

そこから、

  • 俺が敵わない、美人やイケメンの前だと声が出ない。
  • 人前に出ると血の気が引く。手が震える。
  • 人と話す時は「うん」「ですよね。」みたいな相槌しかできなくなった。
  • 人に発言する際は、言葉が引っかかる体になった。

みたいな能力を獲得しました。

 

 

33歳になって分析してみると、

たぶん、育ちがそんな良くなかったんでしょうね。

コミュニケーション能力だったり、優位性が低いから、発言する前から、俺は人に好かれないってのが、直感で分かるんでしょうね。文化資本的な意味で能力が低いし、

俺の体ってハード面でも、繊細なタイプなんだと思います。だからこれ言ったら、人から嫌われるな。ってのが直感で分かるんでしょうね。

たぶん、たまたま運動できたってのが重なって、俺の身の丈にあってないレベルの女性と付き合って、痛い目みたんでしょうね。

 

 

中・高 →顔伺い。せめて受験勉強した。

小学校で対人恐怖みたいになりましたし、生来メンタル弱いので、サッカーも挫折しました。

そこそこ上手かったので、ある程度レベル高い所でやりたかったんですけど、レベル上がるほど恐い人が増えるので、無理になりましたよね。

そこからは、サッカーも真剣にやらずに、サッカーもできないなら、せめて勉強ぐらいできないとな。って感じで勉強頑張って、

同志社とか受かるぐらいにはなりました。(地方国立行きました。)

 

33歳になって考察してみると、

まあ、だけど、幼少期のゴールデンエイジで、サッカーずっとやってたので、勉強って向いてない感は、正直あるんですよね。

あと、このルートを進んでる人とあんまり芯から合わない感というか。(だけど対人恐怖が発症して、こいつらよりも自分は下なんで。。って自尊心削られると言うか。偉そうなんやけどさ。)

ほんと今考えると、

別に良い会社に行けなくても、適当に働いて、彼女もいて、週末サッカーして。ぐらいで良かったんですけどね。

対人恐怖みたいになって、一気に人生、陰のルート進みましたよね。(元々、陰の素養あったんだろうな。)

 

中・高の恋愛とか

地方の進学校行ったんですけど、小さい頃からの貯金で、進学校程度では高校でも運動それなりにできる方だったので。

対人恐怖でも、2軍女子ぐらいからはモテましたよね。(2軍ですら、対人恐怖で関われなかったけど。1軍は当然無理)

 

だから、明確な格下にしかアプローチできなくて、そういう子と体の関係になるだけの、今までの恋愛経験です。

対等な関係ぐらいの人間関係だと、怖くなって関われないんですよね。

あと、まともな人、見た目が良い人になってくると、怖くなって上手く人と関わることができなくなりました。

 

ここら辺が、明確に俺の人生の行動の選択に歪みが出てきました。

 

大学←ナンパ師してた

対人恐怖を治さないと、今後の人生間違いなく終わるなと思ってたので、

ナンパ師なんて気持ち悪いのはわかってたんですけど、ナンパ師してました。

 

でまあ、20、30人ぐらい体の関係になりましたけど、これもただ恐くない格下に行ってただけで、根本から解決はできませんでした。(世の中って思ったよりも格下いるんだなって気づいたの方が近いかな?)

 

就活←ムリ。自分で商売するしかない

就活も無理でしたよね。

人前で話すってのが、もう無理になってたので。

あと、会社組織に属すってルートに進むと、たぶん自殺するなってのは想像できたので、違うルートに希望はないか。

なんとか藁にもすがる思いで、情報商材屋みたいなのに、ひっかかって、自分でビジネスしようとしてました。

 

ここで「ナンパ講師」でもするか。ってナンパブログを始めました。

それがこのブログの生まれた経緯です。

 

 

ナンパ講師時代

浅はかにナンパ講師してましたけど、

ナンパ講師するに値するのは、本当にモテるから人を助けられるからできるのに、自分を救うためにナンパ講師しようとしてたのは、本当に順番間違ってますよね。

 

でも、自分でビジネスしようとする経験は凄い良かったですよね。

お金って、会社で上手く立ち回るのがお金の本質じゃなくて、経済ってルールの方がお金の本質なんだな。ってのが体感理解できたんですよね。

だから、会社組織で立ち回るのはムリだと思って、それができないと生きて行けないと思ってましたけど、もしかしたら色んなルートがあるのかもしれない。

と気づけたのは、この時本当に救われましたよね。

 

あ、あと詐欺っぽい商品は売ってませんからね。

  • TAVって情報商材のアフィリエイトが1本売れたのと、
  • 1人だけナンパ講習みたいなことして5000円もらった

ってのが、唯一の収益でした。(一番初期のTAVは、3万円なので、ちょっと詐欺っぽい所はあるので、今でも僕から買ってくれた方には罪悪感ありますけど。)

 

ナンパ講師みたいな活動は、3年間ぐらいやってましたけど、収益もほとんどなく、ブログひたすら書いてて、色んな人と会ってみたり、ってことやってましたね。

 

20代派遣社員①

いきなり自分で商売しようとしましたけど「ちゃんと働かないといけないな」って20代中盤で気づきました。

それでも、いまだに正社員はできませんけどね。

 

この年齢辺りから、本も読むようになりました。

この時は、「嫌われる勇気」とか、「usjを劇的に変えたたった一つの方法」的な、ビジネス書的なものが多かったですけど。

 

ちなみに、この時期に、岡田尚哉さんの「優位性」とか「相手視点」って講座も受けて、この方針でやれば良いんだなって理解できました。

この講座は本当に神だと思います。

 

30歳1年無職

この時期は、本当に思想的に病んでました。(なんでこんな世界なんだろう。どうして俺はこんなダメなんだろう。みたいな。)

本をひたすら読んでましたし、配信者ひたすら見てました。

この時期に、ドストエフスキーの「罪と罰」「カラマーゾフの兄弟」、太宰治の「人間失格」も読みました。

 

正直、じっくり、ここら辺の本を読めたのは、本当に良かったです。

男って、勝手に作り出した抽象的な思考の中で生きてしまいがちですよね。

 

そう言った領域で、頭ぐちゃぐちゃしてて、わけがわからなくなってて、

「どうしたら良いんだ。考える手がかりもわからない。」って悩んでる時に、

 

もろにそう言った悩みを考えてる人たちの本を読むと、

「1個基準点置いてくれた。」みたいな感覚になった本だったんですよね。

 

正直、思想的な領域では、正解はないんでしょうし、自分なりの正解を掴んで行くんだと思います。

そう言った考える手がかりを、ドストエフスキーは提供してくれたな。

って感じで、今でも読んで本当に良かったなって本です。すごい救われたのを今でも覚えてます。

 

そして、ドストエフスキー読んだおかげで、家に引きこもって抽象思考してたいんだけど、

「日常も頑張って生きるか。」ってぐらいの、

ちょっとだけ、俺の中に空きスペースができた感が少しだけありました。

また働きだしました。

 

33歳になって考察

「俺はドストエフスキーの思考とは、ちょっと違うタイプの人間なんだな。もっとまともな人間ではあるな」って気づきましたけどね。

ここまで精神的に病めるのも、才能とか個性感があるので、ここまでいく才能は僕にはないなって思いますね。笑

でも、ドストエフスキー読んだことで、本当に救われましたけどね。

おかげで、トルストイ読めましたし。トルストイの方が僕は好きですし、合ってますね。

 

 

30代派遣社員②

今現在も、派遣社員してます。

「33歳でほんまに終わってんな。」って思いますけど。

 

31ぐらいからを、今ブログとして残してます。(過去記事は非表示にしてる。見るに絶えないので。)

まあブログ書いてると言うか、書き殴ってるだけですけどね。

 

 

俺の課題にやっと気づいた。対人恐怖症と向き合う(2025年12月25日)

ほんと、なんでこんな自分語りの記事見てもらってたかと言うと、

俺が向き合うべきところが、なんか自覚できたんですよね。

 

対人恐怖を向き合うべきだな。みたいな。

 

ナンパしてて、対人恐怖の克服は、「美女を抱く」ってことに転嫁してましたけど、

もっと根源的な本質は、対人恐怖の克服または、付き合い方を見つける。みたいな感じだと思うんですよね。

 

わけが分からなくなって、ただ外見レベル、社会的レベルが高い女性を、どんどん目指して、そこに向かって努力する。

って、ちょっと本質とずれた所に向かって走って、自分の中でわけがわかなくなってたんですよね。

だけど、本質は、ここだな。って気づけたので、

思いっきり記事に書き起こしてますし、

もう、俺の全部の恥を記事に書きました。

 

今まで、僕の記事見てくれた方。

本当にこんなゴミみたいな僕ですいません。