真理かもしれんって気がしてきた。(意外と深い意図があって描かれてた描写なのかも。)
「アンナカレーニナ」内で、
リョービンは、奥さんが昔好きだったヴロンスキーって男と遊ぶんですよ。
しかも、ヴロンスキーを奪った、アンナって女性も一緒に。
リョービンの奥さんは、また旦那が取られちゃうかも。って不安になってしまう。って描写ですね。
(リョービンは、奥さんにゾッコンで、いわゆる非モテコミットみたいな、状態になるぐらい奥さんのこと好きなのに。クカ)
なんでこの描写思い出したかと言うと、ワイがtiktok見てて、陽キャ見て病んでたからですね。クカ
ワイ陰キャで、tiktok見て、凄い鬱になるんですね。
「あ、俺こんなムーブできない。。。。」みたいな。
最近だと、
- 「花火大会でドローン使ってプロポーズしてる動画とか。」
- 「おじいちゃんおばあちゃん(父母)が、自分の子供をあやしてる、幸せな家庭の動画とか。」
- 「彼氏が大手で、振られて、新しい彼女できてたとか。(普通に働けてモテるやつへの嫉妬とか)」
なんか、自分ができないムーブしてる人の動画見ると、鬱々してくるんよな。
だけど、意外とこういう動画って、良い所切り抜いてるだけだし、
無限におる人間たち(例えば1万人)のウチの、その一部の動画なわけで、
1万人の中の1つの体験を見て、わい1人の個人が、その体験をできてない。。。。
とか言って、鬱になってるのもどうなんや。って話ではあるんかもな。って。
あと、冒頭でも書いた、トルストイの「アンナカレーニナ」でも、
「自分が陰キャで陽キャのアクティビティできない。。。。」
ってコンプレックス感じてるけど、
「いざ、自分も、流れとか、タイミングとかに乗ると、客観的に見ると陽キャな遊びしてて、家に帰るの遅くなって奥さんを不安にさせてしまう。」
みたいなことしてしまってるみたいな。
いざ、自分が陽キャなムーブ取ると、
「まあタイミングとか、色んな流れて、このムーブは当然じゃないかな。」
ってぐらいの感覚になってしまうみたいな。
なんか、そんな気がするんですよね。
僕もファッションとか、相手視点とか、1個ずつ磨いてると、意外とそっち側に思われてたりもするんかな。ってほんのり感じるときあるんですよね。
なんか、こんなのって、田中角栄の
って動画でも、
「心配や不安で考えたことは、ほとんど起きない。不安に押しつぶされそうになる時は、目の前の行動をとる。できることをする。」
みたいなこと言ってるんだけど、本質的には、同じ人間の特性から派生してる現象かもなって気がしますよね。
tiktok見て勝手に不安を作り出してしまってるみたいな。
イチローの
「小さな一歩を積み重ねることがとんでも無いところに辿り着くただ一つの道」
とかも似てること言ってるかもしれないですよね。
俺の場合に当てはめても、
「陰キャで、陽キャみたいなムーブ取れなくて終わっとる。」
とか思ってるけど、意外と、ファッションとか相手視点とか一個一個積み上げて行くと、
周りから見れば、「そんな悩み抱えてるなんて一ミリも思われてない」って状態になるのかもしれないですよね。
それちょっと面白そうだから、やってみたいですよね。
自認クソ陰キャの社会不適合者だけど、優位性上げまくったら、陽キャなモテ男で、対峙する相手は俺みてコンプレックス感じてる。
って状態まで持っていけるのかな?みたいな。