会話が成立するには、
①実務的にスキルとして、会話テクニックとかも大切だろうし。(相槌、ユーモア、間とか。)
②同じ価値観を持ってる。のも大事だろうし。
①みたいな、基本的な人間関係のスキルはあるやろな。岡田さんみたいに、誰とでも仲良くなれるみたいな。
ただ、これだけ意識してても、岡田尚哉さんが、苫米地英人とか、宮台真司と仲良くなれるかと言うと、たぶん種族が違いすぎて仲良くはならないと思うから、そのレベルでの人種が違う場合は、②の価値観を同じにするって努力も必要なんだろうな
で、たぶん俺がコミュ障なのは、①のスキルも多分にあるやろけど、②の面もでかそう。だって普通の人は、トルストイなんか読まんやろし。
政治だの、経済だの、社会だの、信仰だの考えないだろうから、ある程度、浮世に価値観合わせないと。(見下してない)
アンナカレーニナ読む前までは、思想的なOSと、社交的なOSは共存できないと思ってた。
思想的な努力する人は、マルクスみたいになれるけど、岡田尚哉にはなれないし、
社交的な人は、岡田尚哉みたいになれるけど、抽象思考はできなくなるし。みたいな。
両方持てないもんなんだと思ってたけど、トルストイのアンナカレーニナ読んでみて、両方良い塩梅で持ってる人って世の中にいるんだなって気づけて凄い良かった。(作者のトルストイが色んな人格を高いレベルで持ってる。)
思想的な安定と、円滑な人間関係は両立できるんだな。って気づけたから、今、人間関係円滑にする努力もしてみよう。って思えるようになってきた。(自分が勝手に決めつけてたバランスを崩して、コミュニケーションの努力してみようと思えた。)
たぶん人それぞれのバランスがあるんやろな。
岡田尚哉さんは、抽象思考いらんし、思想がなくても安定して生きられる人だし、
マルクスとか、宮台真司とか、そう言う系統は、思想の安定がないと、精神おかしくなるし。俺もどっちかと言えばこのタイプだし。
人それぞれ、バランスがあるだけ。
そして俺は、両方準一流ぐらいになれたら充分かな。
岡田尚哉さん的な、コミュ強ともギリ関われる、嫌われないポジション取れるぐらいの社交のOSと、人類の頭良い人・社会のOS作る側の思想にも、読んだらある程度理解できるぐらいの頭の良さを持ってるぐらいの。
自分の中で、安定するバランスが、このぐらいかな。って知れたのが、トルストイのアンナカレーニナ読んでて気づけたのが、良かった一つの面やな。
で、自分の中の良いバランスを取った時に、精神の安定とか、幸福感が出てくる作用が人間にはあるけど(人間関係だけじゃなく色々な面でも)、その感覚に対して、昔の人は神とか表現してたんだろうな。
ってアンナカレーニナからは読み取った。
だから、人それぞれ信仰も、神も違うから、対立が生まれるみたいな。