今で言えば、源氏物語を読むために、前段階の読書とか、動画として
- 傲慢と偏見
- 嵐が丘
- ゴシップガール
- ネトフリで色々
- ドラマのDVD購入したり
とかで、色々コンテンツ集めて、眺めたり、消化したりしていくんだけど、
購入する前は、全部消化しないと、源氏物語に進めないかもとか思うんだけど、
色々考えて、進んで行くと、
あー「ゴシップガール」だけでも良いかもなー
みたいな、全部消化しなくて良いな。って感覚になってくるんだけど。
昔は、このときに「せっかく購入したんだから、消化しないと勿体無い。」と思ってたんだけど、別に消化しなくても良いのかもなー。
色々買ったから、「ゴシップガールに集中すれば良い。」って思考になれて、ゴシップガールから得られる栄養素の濃度が高くなってるわけだから、
色々買ったお金は、ゴシップガールの栄養価を高めた。って考えた方が良いかもなー
この1年ぐらいは、読書でも、旨い部分だけ食う読書でもしたろかな。
やる前に想像する色々消化したいコンテンツ
こういうのは、全部消化しなくても、1個でも消化すれば、世界の見え方が変わったりする
例えば、まだ漠然と遠くの目標だけど、古典的な難しい本の読みたいリストとして
- マルクス資本論
- カント純粋理性批判
- トルストイ戦争と平和
- ダーウィン種の起源
- アインシュタイン相対性理論
とかが読みたいなーと漠然と思ってるんだけど、5冊全部読むためには、莫大な時間が必要だ。。。。って思いがちだけど、
意外と、カントの純粋理性批判だけ1冊読むだけでも、世界の見え方は大きく変わりそう。
すると、カントの次はマルクス読みたい。って思うんじゃなくて、意外と、上記の4冊以外の、全く違う本が読みたくなったりしそう。
読む前は、5冊全部読まないと世界の見え方が変わらないと思ってたのに、実は1冊読むだけでも世界の見え方は大きく変わるし、
実は、俺にとって、この5冊は、同じカテゴリー内の本だったのかもしれない。
だから、5冊全部読まないと!って思って1歩踏み出せないよりは、とりあえずどれか1冊読んでみる。って感覚も大事なのかもなー
攻めの1歩踏み出す読書してみようかなー
源氏物語読むには、徹底的に準備しないと読めない。って考えずに、
いけると思ったら、1歩踏み出して読んでみる。
そして、視界が変わったら、また新しく目に入ったものに、1歩ゴリって進んでみる。
って攻めの読書でもしてみようかなー?今年一年ぐらいは。
「ガチで読みたいわ!!!!」って本を、「完璧に準備しないと読んだらダメ。」って思わず、6割ぐらいの準備ぐらいで読んだろかな。
無意識に、自分が変化するのを恐れてる感がある
マルクスの資本論読んだら、今の自分じゃない、何者かになれるんじゃないか。
みたいな漠然とした、希望がある気がする。俺の無意識に。
だけど、そんな変化は起きない。
人間が、神にはなれない。ってことを無意識にわかってるから、
変化したら、希望が消えるから、現実に目を向けたくないから、行動を起こしたくないのかもな。