またまたトルストイの「アンナカレーニナ」からだけど、
女性ってそもそも、死生観が男と違うのかも。女性の方が死に対して本質を掴んでるかも。
みたいなこと書いてあるんだけど、なるほどな〜って思ったわ。
確かに根本的に違うなって。
俺の十数年は、そう言ったことを学びたかったから、「女性にモテるって分野」を切り口に色々勉強してたのかな。ってふと思った。
アンナカレーニナ読んでると、トルストイは、人間が縛られてる色んな糸を見ることができるんだなと。
これは戦争と平和で出されてる例だけど、
- 行軍してる軍の先頭に立たされたら、人間は行進することをやめられないとか、
- 手を振り上げたとして、目の前に何もなければ勢いよく振り下ろせるが、目の前に泣いてる少女がいると振り下ろせないとか、
人間って、こういう状況だと、こう動かざるおえないみたいなことが沢山あるよね。みたいな。
で、「アンナカレーニナ」内では、人間はこう動いてしまうよね。みたいな物が沢山出てくる。
トルストイは、人間の縛られてる糸が沢山見えてるんだなと。
そして、女性は、そんな大天才のトルストイよりも、人間が縛られてる糸が沢山見えてるんじゃないかと、トルストイは言ってるし、
事実、僕もやっぱりそれは本当に思う。女性には絶対勝てないし、女性の方が色んな物見えてる。
赤って200色あんねん。みたいな感じで、男女で見える波長は同じだけど、センサーの精度が違うんじゃないか?って気がするわ。(男も学習すれば感知する細かさは上げられるだろうけど。)

で、こんな感じで、人間が繋がってる色んな糸を見る精度が高いから、
- 日常的にお菓子配ったり、
- 相槌がうまかったり、
- 細かい気遣いしたり、
- 「ありがとう」を言ったり、
なんかしら、糸が見えてるんだろうな。
今この瞬間は問題ないけど、これが続くと、人間関係破綻するぞ。みたいな感覚があるんだろうな。
見える糸が沢山あるってのが、なんとなく仏教の縁起みたいな価値観と似てるよな。関係の結び目というか。
女性は、男よりも、色んな物見える精度が高いから、必然的に仏教的なところに、いきなり辿り着いてるんじゃないかな。
男は専門用語使わないと、可視化できないけど。
女性は本能的に気づいてるから、別に難しい専門用語使わないみたいな。
女性が占い好きなのとか、運命とか、縁みたいな価値観も、なんかここらへんから来てんのかな?
紫式部の「源氏物語」が、儚さみたいな、仏教観あるのは、平安時代だからだと思ってたけど、全女性の共通の価値観なんかもな。
事実、1900年台の西洋の女性の小説家とかに、源氏物語めっちゃ評価されてるしな。